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伊勢法要花火大会と阿竹信生伝説
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    JUGEMテーマ:日記・一般

     さて一連の日程は終わって親戚はだいたい引き上げたのですが、母が一人になってしまったので長男一家(といっても娘は先に帰名)は日曜まで伊勢にとどまることにしました。昨日ですがずっと妻の実家で預かってもらっていた愛犬ポンズを迎えに行きピアノで千の風になってを弾いたりしました。

     

     さて通夜で出てきた阿竹信生伝説ですが、いくつか紹介すると。

     

     父は50歳くらいまでバク転が出来た。前方空転いわゆるトンボ返りは30歳くらいまでならできたそうです。50mを6秒を切って走れたとも言っていて、この運動神経はまったくあたけに遺伝していません。死んだ光紀はスプリンターだったので隔世遺伝だとよく言っていました。ゴルフもシングル一歩手前でよくシニア大会で優勝していました。あたけはいくらやっても100を切れないのでやめてしまいましたが。あと若いころ大阪で覚えたアイススケートはバックで滑ることもできたようです。

     

     父はお花の名取りだった。母に言わせるとこれは南方から復員後婚活のために生け花教室に通っていたせいで、あまり活用していたとは言えないですが、一度正月に着物でお花を活けているのを見た覚えがあります。あと遺品の整理で、詩吟二段という免状を見つけました。一通り何でもやらないと気が済まなかったようです。ハーモニカが得意で聞いた曲をそのまま吹くことが出来たようで、これはあたけに遺伝しています。小学校の頃は軍艦マーチばかり吹いていた記憶があります。

     

     軍隊のせいか若いころは結構暴力的で、一度弟子の前でちゃぶ台返しをやったそうですが、その時に割れたガラスが掌に刺さってそれを戒めとして二度とやらなかったそうです。

     

     学業も優秀で祖母が通信簿をずっととっていました。一緒に焼こうかともいわれたのですが、止めました。といっても旧制中学に進学できる家庭ではなく、大阪の今宮工業高等学校を受けて落ちたそうです。ここは府立で他府県からはハードルが高かったそうです。結局家計を助けるために当時修理で有名だった大阪の時計屋に弟子入りするわけですが、若くして給料も良かったようで都会でずいぶんいろいろいい思いもしたようです。後年進学していれば、学徒出陣や特攻でチーンと行っていたかもしれないとよく言っていましたが、あたけが旧帝大に受かったときは大変喜んで、大学院までやってくれました。

     

     元祖男の娘だった。若いころ背が低い以外は歌舞伎役者のような整った風貌で、終戦後南の島で占領軍に見せる軍隊歌舞伎の女形をやらされたとか。祖母が同じ帰還兵から聞いた話では、豪州軍の兵士がたくさんさっきの娘に会わせろと言って押しかけたそうです。ちなみに老後は丸い伊達眼鏡で東海林太郎のモノマネが得意で、時計組合のカラオケ大会などで大うけだったようです。このメガネは今四十九日の祭壇に飾られています。

     

     囲碁将棋は道楽だと思っていたのですが、神宮司廰の偉い方たちとは囲碁を通じて仲良くなったそうで、伊勢神宮ご用達につながり商売にも役に立っていたようです。

     

     軍人恩給を断った。地元選出の代議士から手続きをすれば毎年300万円ほどもらえると言われたそうですが、死んでいった戦友たちに申しわけない、と言ってもらわなかったそうで、母はいつももったいながっていました。落語の芝浜と逆ですが、そんなお金をもらっていたら、お金儲けを怠り、いまのアパート経営などもやっていなかったかもしれません。

     

     あと検査入院させられた病院を勝手に抜け出してきたとか、いろいろ武勇伝もありました。いろいろと女性にはもてたようですが、さいわい葬儀にご落胤が出てくると言ったことはありませんでした。

     

     さて、この日は伊勢の奉納花火大会。若いころの父の愛読書に「天の夕顔」があったのを思い出します。

     

     

     自宅の物干しでビールを飲みながら。

     

     

     スマホで撮ったのですが。

     

     

     晩年の父の部屋からも良く見えました。

     

     もともと夏の花火はお盆の供養のために上げられたとのこと、ちょうどいい法要花火となりました。

     

    評価:
    中河 与一
    新潮社
    ¥ 350
    (1954-06-02)
    コメント: 今の感覚ではきっととても不思議な純愛小説。カミュが絶賛したとは知らなかった。

    | 伊勢 | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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